嫌われたくない

昔から「他人に嫌われたくない」と思い、八方美人な振る舞いをしてきた。トラブルを避けられるから。そのために、自分を抑えることに慣れてしまった。
「この行動をとると嫌われるかな、嫌な気にさせるかな」と思ったら、その行動をできず、したいと思ってもブレーキをかけるのだと思う。

http://communication.hateblo.jp/entry/communication-goal
上記ブログでは、「嫌われる、好かれるではなく、自分が楽しいように振舞おう」と書いてある。
それは真理だと思う。
相手の感情は「こうすればこうなる」と決まったものではないし、他人から強制することはできないものだから。

でもやはり、「好きなあの人に好かれたい」がある。
この感情も、「あの人から好かれる」という、自分の楽しみのためと言えるのかな。

考えがグルグルする。
考えてないで、行動して、成功して喜び、失敗して学べ、と言われそうだ。

自分を変えたい

自分を変えたい。
アメリカにて、失敗したことから思ったこと。

いまアメリカにいます。
そこで後悔したことがひとつ。
詳しく書きたくない、知られたくないから書かないが、「やらなくて後悔」を、またやってしまった。

シチュエーションとしては、「ここで俺ならこうやってしまうんだよな」をまたやった。
これは自分の自信の無さ、失敗することの恐れからとってしまった行動。
自分の意思としては、「やりたい」でも上記理由で「やらなかった」。
余計なことを考えずにやれば良かった。

いつもこのパターンだ。
「あなたはこういう人で、変えられない」となると、また同じような後悔をするだろう。
そうなりたくない。

三つ子の魂百までなら、諦めるしかない?
人はいつでも変われるなら、希望がある。
希望をもちたい。さもなくばいまのダメな自分のままだから。

余計なことを考えないようになりたい。
考えないことによる失敗を恐れて考えすぎてしまうので、考えないようになりたい。
考えなくやって失敗することも経験して、考えることと考えないことのバランスを身につけるのかなあ。
必要なことだけに集中するという、集中力が足らないのかなあ。

難しいなあ。悲しいなあ。

後悔がひどい

「あの時こうしていれば良かった」という、後悔が強くて辛い。

今ではすっかり嫌われてしまった、好きだった人とのやり取りについて、後悔がひどい。今さらどうにもならないのに、思い出されてつらい。

過去の失敗を思い出して、部屋で1人叫びたくなることは、誰しもあることだと思う。ただの恥なら、叫んで少しは発散できる。しかし恋愛の失敗は、恥とは少し違っていて、心に来るものがある。

「次の恋をすれば忘れる/癒える」なんて言うが、自分の場合、あまり人を好きにならないから、なかなか忘れられない。「さあ次」と割り切れるようになりたい。強い人間になりたい。

思考を鈍らせるにはアルコールだが、アル中にはなりたくないし、それで飲んでも楽しく無さそう。他の人はどうやって気を紛らせてるんだろう。

自分は自分で思っているほど無力ではないのかもしれない

自分は自分で思っているほど無力ではないのかもしれない。
いや、無力だ。少なくとも今は。
無力だから、努力しないといけない。
しかし、無力ならば努力もできないのか?
いま頑張れないのは無力だからなのか?
努力で克服できるのか?

こういう余計なことを考えずに、地道に頑張るべきなんだろうな。
余計なことを考えないようになりたい。

「自分は無力ではない」とは、何かを成し遂げた後で感じればいいことなのだろうか。
やはり余計なことを考えているようだ。

ネガティブなことを文字にすることは良いか悪いかわからない

劣等感が強い。自信が無い。

私が自分について感じていること。
こういうことは言葉にしないほうがいいのか。これは言葉にすると現実化するから、という説による。
言葉にすると整理されて、折り合いをつけられるのか。これは認知療法?とかそのあたりの理由。

整理するなら言葉にして、整理しないなら出さないほうがいいのか?
吐き出して楽になることに期待をしているのかもしれない。またはこれを見た誰かからの救いの手に期待をしているのか。

過度に他人に期待してはいけないそうだ。しかし、他人に絶望しても良く無いそうだ。わかってはいるが、誰かに助けて欲しい。

楽観的になりたい

悲観的すぎて嫌になる。

「大丈夫。なんとかなる。」と言って欲しい。
いや、他人から言われることよりも、何よりも自分が、「大丈夫。なんとかなる。」と思いたい。そう思えるようになりたい。そう思わなければ。

そう思えるようにならなければ、今のダメな人間のままだ。

「好き」という時は、性欲も含んで好きなのだろう。

「女性と付き合えない!」という悩みに対するアドバイスの記事。

anond.hatelabo.j

 

この記事では、「付き合いたいって、(性欲抜きに)彼女という人がほしいというアプローチだから間違い。セックスしたいんでしょ?」といったことをズバリと指摘されている。私自身も、うまくいかない片思いの中で、ぼんやりと思っていたことだったが、この記事でハッとしたので書き出してみる。

 

私はアドバイスをもらっている増田ほどではないが、似ている人種だと思う。

今までまともに女性とつきあっていないという点では同じ。アタックした人数で言えば負けている(単純に多ければいいというわけではないとも思うけど。)。私は童貞ではないため、この欠点は童貞か否かは問題ではない。要はコミュニケーション力というか、経験値が足りていないということなのだろう。

 

私の場合は、誰でもいいから付き合いたいというわけではない。

私が好きになった女性に、私のことを好いてもらいたい。それがかなわない。向こうからすれば迷惑な話なんだろうけど、自分の気持が収まらない。

とはいえ、これは人数の多少の差なので重要ではないのだろう。

 

アドバイス増田の記事の前半、付き合えない増田に対するダメ出しで指摘している点が、私にも当てはまっている。ひとことで言うと、まともに付き合った経験がないため、できていない点なのだろう。

もちろん、相手の気持ちが大事だと思っていた。だから、相手が気に入るだろうということ、相手が喜ぶことをしてきたつもりだった。そこで告白してダメだった。

きっと、告白ではなく、相手の気持ちを確かめる行為をしておくべきだったのだろうな。アドバイス増田の記事で後半部に書いてある、「手をつなぐ」という行為をする勇気がなかったのだ。

 

結局、性欲も含めて相手のことが好きなはずなんだ。それをつまらないもの、と言うか後ろめたいことだと思って、相手に見せないようにしてアプローチしていた。その態度が、おかしい、というか、奇妙だったというか、不自然だった、普通じゃなかったため、印象が良くなかった、ということなのかもしれない。「やりたいだけだ、と思われたらどうしよう」ということを恐れていた。

 

アドバイス増田の追記に、

>誰でもいいから女性の知人とデートの練習をするところから始めるといいと思います。

とある。女性とのつきあい方を経験するために、とにかく経験しかない、ということで理解している。ここで変な心配をしてしまう。「その知人女性に本気になられたらどうしよう」と。練習のつもりで付き合ったのに、万が一セックスしたら、俺は「やり捨て」をすることになるんじゃないか、とか。私の考えが潔癖というか、「セックスは大事なもの。本当に好きな人としかしてはいけない」とか、「ヤリチンは悪」といった考えに基づいているんだな。結局童貞的発想から抜け出せれていないのだ。

 

私がしがちな、変な考えをしないように修正したい。不要なことは考えないようにしたい。これにはやはり、女性と付き合う、という経験をしなければならないのだろう。練習として付き合うのは、やはり後ろめたさを感じてしまうが。この克服が先なのか。