Audi A4 B6のVTR端子の利用メモ

B6世代のAudi A4の純正カーナビには、入力端子が余っている。

その入力端子の利用のためのメモ。

 

対象のカーナビはアイシンAW製。製品名(?)にRNS-JP3とある。

 

1.カーナビを外す

2.コネクタを外す

3.ケーブルを作る

4.ケーブルをつなぐ

 

1.カーナビを外す

外すための工具は、2,000円位で買うか、1~1.5mm厚ぐらいの金属かプラスチックで自作。

ナビの全面、上下左右に細い穴があるので、工具を差し込む。尖った方を外側に。

ナビのフレームで内装とシフトノブを傷つけるため、布を当てておく。

 

2.コネクタを外す

対象の端子は、カーナビを後ろから見て左側中ほど。アンテナの線の間にある。

紫のハンドルを押し上げるための、爪を押し下げて、紫のハンドルを90度回す。

コネクタを抜いた後、側面についている紫のプレート(ふた)をスライドして外す。

コネクタがケースから出てくる。

対象のコネクタのピンは何も刺さっていない。

 #10がL、#11がR、#12がVideo、#26がL-GND、#27がR-GND、#28がVideo-GND。

 

3.ケーブルを作る

コネクタに入るコンタクトは963715-1(Tyco Electronics)。100こ800円プラス送料で1,500円以下か。

ケーブル付きはケーブルは000979009E。60cmで両端にコンタクトがついている。

適当なケーブルと接続する。ギボシ等。

ダイソーの電工ペンチは終売のようだ。

 

4.ケーブルをつなぐ

センターコンソール後ろの横から、ハンドルの下にケーブルを出す。

穴の位置はフラッシュライトで確認する。

ケーブルをつなぐ。

嫌われたくない

昔から「他人に嫌われたくない」と思い、八方美人な振る舞いをしてきた。トラブルを避けられるから。そのために、自分を抑えることに慣れてしまった。
「この行動をとると嫌われるかな、嫌な気にさせるかな」と思ったら、その行動をできず、したいと思ってもブレーキをかけるのだと思う。

http://communication.hateblo.jp/entry/communication-goal
上記ブログでは、「嫌われる、好かれるではなく、自分が楽しいように振舞おう」と書いてある。
それは真理だと思う。
相手の感情は「こうすればこうなる」と決まったものではないし、他人から強制することはできないものだから。

でもやはり、「好きなあの人に好かれたい」がある。
この感情も、「あの人から好かれる」という、自分の楽しみのためと言えるのかな。

考えがグルグルする。
考えてないで、行動して、成功して喜び、失敗して学べ、と言われそうだ。

自分を変えたい

自分を変えたい。
アメリカにて、失敗したことから思ったこと。

いまアメリカにいます。
そこで後悔したことがひとつ。
詳しく書きたくない、知られたくないから書かないが、「やらなくて後悔」を、またやってしまった。

シチュエーションとしては、「ここで俺ならこうやってしまうんだよな」をまたやった。
これは自分の自信の無さ、失敗することの恐れからとってしまった行動。
自分の意思としては、「やりたい」でも上記理由で「やらなかった」。
余計なことを考えずにやれば良かった。

いつもこのパターンだ。
「あなたはこういう人で、変えられない」となると、また同じような後悔をするだろう。
そうなりたくない。

三つ子の魂百までなら、諦めるしかない?
人はいつでも変われるなら、希望がある。
希望をもちたい。さもなくばいまのダメな自分のままだから。

余計なことを考えないようになりたい。
考えないことによる失敗を恐れて考えすぎてしまうので、考えないようになりたい。
考えなくやって失敗することも経験して、考えることと考えないことのバランスを身につけるのかなあ。
必要なことだけに集中するという、集中力が足らないのかなあ。

難しいなあ。悲しいなあ。

後悔がひどい

「あの時こうしていれば良かった」という、後悔が強くて辛い。

今ではすっかり嫌われてしまった、好きだった人とのやり取りについて、後悔がひどい。今さらどうにもならないのに、思い出されてつらい。

過去の失敗を思い出して、部屋で1人叫びたくなることは、誰しもあることだと思う。ただの恥なら、叫んで少しは発散できる。しかし恋愛の失敗は、恥とは少し違っていて、心に来るものがある。

「次の恋をすれば忘れる/癒える」なんて言うが、自分の場合、あまり人を好きにならないから、なかなか忘れられない。「さあ次」と割り切れるようになりたい。強い人間になりたい。

思考を鈍らせるにはアルコールだが、アル中にはなりたくないし、それで飲んでも楽しく無さそう。他の人はどうやって気を紛らせてるんだろう。

自分は自分で思っているほど無力ではないのかもしれない

自分は自分で思っているほど無力ではないのかもしれない。
いや、無力だ。少なくとも今は。
無力だから、努力しないといけない。
しかし、無力ならば努力もできないのか?
いま頑張れないのは無力だからなのか?
努力で克服できるのか?

こういう余計なことを考えずに、地道に頑張るべきなんだろうな。
余計なことを考えないようになりたい。

「自分は無力ではない」とは、何かを成し遂げた後で感じればいいことなのだろうか。
やはり余計なことを考えているようだ。

ネガティブなことを文字にすることは良いか悪いかわからない

劣等感が強い。自信が無い。

私が自分について感じていること。
こういうことは言葉にしないほうがいいのか。これは言葉にすると現実化するから、という説による。
言葉にすると整理されて、折り合いをつけられるのか。これは認知療法?とかそのあたりの理由。

整理するなら言葉にして、整理しないなら出さないほうがいいのか?
吐き出して楽になることに期待をしているのかもしれない。またはこれを見た誰かからの救いの手に期待をしているのか。

過度に他人に期待してはいけないそうだ。しかし、他人に絶望しても良く無いそうだ。わかってはいるが、誰かに助けて欲しい。